割れたティーカップ

 それは一瞬の出来事であった。
「あっ!」
 薔薇の館に響く声、同時にカシャンと高い音が鳴った。
 何かと思って音がした方を見ると、そこには真っ青な顔で固まっている祐巳さん。そして彼女の視線の先には、床に落ちて割れてしまったティーカップがあった。
「ああ!どうしよう!」
 言うが早いか、祐巳さんは屈み込んで割れたティーカップの破片を拾おうとする。
「危ないから触ってはだめよ!落ち着いて」
 錯乱する祐巳さんを強い語気で制すると、正気に戻ったのか彼女は顔を上げて小刻みに頷いた。
「よ、由乃さん、どうしよう……」
 弱々しく立ち上がりながら言う祐巳さん。顔はまるでこの世の終わりかのような表情をしている。
 彼女が慌てているのは、割れてしまったティーカップがただのティーカップではないからだ。これは祐巳さんの姉、小笠原祥子さまが、先代の紅薔薇さま、水野蓉子さまからプレゼントされ、大切に使っていたティーカップなのだ。
「どうしよう、お姉さまの大切なティーカップを……」
 割れてしまったと知ったら、祥子さまがどれだけ傷付き、落胆することか。
「あぁ……」
 祐巳さんの体がふらっと傾いた。
「ゆ、祐巳さん!しっかり!」
 そう言いながら慌てて体を支える。その時、ガチャッと言う音と共に、部屋の扉が開いた。
「ごきげんよう……何をしているの」
「お、お姉さま……!」
 ドアの向こうから現れたのは祥子さまだった。その祥子さまが抱き支えている私と支えられている祐巳さんを見て一瞬訝しむ。
 そしてすぐに、床に散らばっているティーカップの破片を見つけた。
 あっ、と小さく声を上げる祥子さま。
 祐巳さんは抱き支えていた私の手を離れ、なんとか自分の力で立ち、
「ごめんなさいお姉さま!お姉さまが大事になさっていたティーカップを割ってしまいました!」
 祥子さまに向かって深々と頭を下げた。
「祐巳!」
 小さく叫んで駆け寄る祥子さま。
「そんなことよりケガは?指を切ったりしていないでしょうね!」
 そう言って祐巳さんの手を取り、じっと確かめる祥子さま。
 罰が下ると思って構えていた祐巳さんは、驚いて目を白黒させている。
「……お姉さま……私は……!」
「いいのよ。ティーカップは割れ物なのだから。それよりも祐巳に怪我がなくて良かったわ」
 そう言って優しく祐巳さんの両手を包む祥子さま。
「お姉さま……!」
 目をうるうるさせながら見つめる祐巳さん。
 私はそんな二人を邪魔しないように見ながら、今度令ちゃんのティーカップ割ってみるか、などと考えていた。

おしまい。

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