お題:白き花びら



古びた温室


 高等部になって初めての冬休みも終わり、令には学生としての日常が戻ってきた。
 剣道の大会もしばらく無いので、山百合会の活動に軸足を置いているのだが、その山百合会では年を境に明らかな変化があった。それは聖さまのご様子。弱々しく、抜け殻のような、そして近寄り難い雰囲気。髪もばっさりと切られていて随分と印象が変わっていた。事のあらましはお姉さまから聞いたが、詳しくは知らない。だが今の聖さまには、ただ悲しい、というだけでは言葉が足りないほどの悲嘆を感じた。


 ある日の薔薇の館。江利子さまと二人きりの時間が出来たので、
「お姉さま、聖さまは大丈夫なのでしょうか……?」
 と、令が話を切り出した。すると、おやつのたまごボーロを口に運んでいた江利子さまは手を止めて、
「何のこと?」
 と問い返した。
「何と言うべきか……、酷く打ちひしがられているようで……」
 令がそう告げると江利子さまは、
「そうねえ……」
 と言って少し考えて、
「さすがに立ち直るには時間がかかるかもね。聖とは長い付き合いだけれど、あそこまで落ち込んでいるのは見たことないから」
「そうですか……」
 少しの沈黙の後、
「心配してるの?令は優しいのね」
 江利子さまはそう言って私を慰めてくれた。
 それから程なくして、コツコツと誰かが階段を上る音が聞こえてきた。ビスケット扉が少し開くと、ひょっこりと白薔薇さまの顔が出てきた。
「あら、居ない」
 白薔薇さまはそう言って、扉をきちんと開けて部屋に入ってきた。それに続いて蓉子さまも入って部屋を見渡している。
「聖ったら、てっきり先に薔薇の館に戻っているものだと思ったのだけど」
 両手を腰に当てて、ふーむと唸る白薔薇さま。
「どうなさったのですか?」
 江利子さまが白薔薇さまに聞くと、
「聖に仕事を覚えてもらうために、蓉子ちゃんも連れて職員室に行っていたのだけれど、肝心の聖がいつの間にか居なくなっていて」
 困ったわね、と白薔薇さま。
「鞄はありますね。多分、家に帰ったりしてはいないと思いますけれど……」
 江利子さまが言うと、
「私、探してきます」
 蓉子さまが踵を返して部屋を出ていった。タンタンタンと階段を降りる音が響く。
「あらあら」
 と、白薔薇さま。
「私も探してみます」
 令は席を立ち、洋服掛けから、一つ抜きん出て大きな、自分のスクールコート取って羽織った。
「悪いわね令ちゃん。聖が居そうな所は蓉子ちゃんが探してくれるだろうから、分担して令ちゃんは中庭や温室あたりを探してきてちょうだい」
「分かりました、行ってきます」
 そう答えて部屋を出る。木製の階段をギシギシと言わせながら降り、薔薇の館の扉を開けると冬の冷たい風が吹き付けた。
 今の聖さまを一人にさせてはいけない、と令は思った。だから、聖さまの捜索は自らの鍛えた体力を生かして、出来るだけプリーツを乱さないようにしつつ、全速力で探した。しかし中庭にも居ない、聖堂にも居ない。道なりの通路や教室も気にしながら探すも聖さまは見つからない。
(もう蓉子さまが見つけているかも。或いは自身で薔薇の館に戻っているかも。それとも……)
 様々な考えがよぎりながら捜索を続けていると温室に辿り着いた。ガラス越しに中を伺うと思わず、あっ、と小さな声が出た。聖さまの姿を見つけたのだ。
 良かった、そう思って温室の戸を開けて中に入ると、令の体は暖かな空気と植物の香りに包まれた。聖さまは令に気付かず、花達を置くための棚に腰掛けて、どこか遠い目をしていた。令は一瞬、声を掛けるのをためらったが、覚悟を決めて、
「聖さま」
 と、名前を呼んだ。
「……ああ、令」
 聖さまは我に返って、令の呼びかけに答えた。
「お邪魔をしてすみません。皆様が心配していまして……」
 令が遠慮がちに言うと、
「そう……戻らないとね」
 聖さまはゆっくりと立ち上がり、服に付いた砂埃をぱんぱんと払った。
「ありがとね、令」
 聖さまは令に微笑んでから温室の出口に向かって歩みだす。後ろを付いて行くと、聖さまは独り言とも、私への言葉とも取れぬ口調で、
「ここに居ても辛くなるだけね」
 と言った。
「もう来ない事にする」
 そう言って温室を後にした。


 二人で薔薇の館に戻ると、
「お手柄ね、令ちゃん」
 白薔薇さまが笑顔で迎えてくれた。蓉子さまは既に戻ってきていたようで、すぐさま私達のために温かい紅茶を淹れてくれた。
 令が江利子さまの隣に座ると、
「ご苦労さま」
 と、言ってねぎらってくれた。
「あと少し遅かったら、また蓉子が飛び出して行く所だったわ」
 テーブルの白薔薇エリアでは、蓉子さまも加わって茶話会という名のささやかな説教が始まっていた。
 令は紅茶を一口。温かさが五臓六腑に染み渡った。
「何と言うか……みんな底抜けに優しいわね……」
 江利子さまは半ば呆れたように言った。続けて、
「私が聖の世話をする番は回ってくるのかしら?」
 とやさぐれながら、たまごボーロを口に放った。


おしまい

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