ロザリオ

 残暑の候、夏休みも終わり通常授業も始まったとある日の薔薇の館。
 由乃は祐巳さんと学園祭に向けての書類の整理をしていた。二人でしばらく黙々と作業をしていると祐巳さんから「はぁ」と小さなため息が漏れた。
「どうしたのため息なんかついて」
「ああ、ごめん無意識に……。いや今日ね、ロザリオを着けてくるの忘れちゃって」
 と言って胸元を指す祐巳さん。
「なんだそんなこと」
「大事なものだから気分的に落ち着かなくてため息でちゃったのかも。胸もなんだかスースーする気がするし」
 と言ってまた小さくため息をつく祐巳さん。思えば祐巳さんも祥子さまとスールになってまもなく1年。姉妹になった際に授かったロザリオはもう祐巳さんの体の一部になっているのかもしれない、と由乃は思った。
「ふうん、スースーか。じゃあ私のロザリオを貸してあげよう」
 由乃は自らが胸に着けていたロザリオを外し、輪を作った。
「いや、そういう問題でも無いんだけれど……」
 頬をかきながら言う祐巳さん。それに構わず由乃は、
「動かないで、祐巳」
 と、かつての祥子さまのような口真似をした。
「はは、懐かしい……」
 と言って苦笑する祐巳さん。由乃が作ったロザリオの輪がゆっくりと祐巳さんの眼前に迫ったその時、部屋の入り口のビスケット扉が突如開いた。
「ごきげんよ……何をやっているの」
 現れたのは祥子さまだった。私たちの姿を見て驚きの表情を浮かべている。
「あ、いやこれは」
「祐巳、まさか私という姉が居ながら由乃ちゃんとロザリオの儀式なんて」
「違うんですお姉さま」
「不貞行為」
「ロザリオを家に忘れてしまってそんな成り行きで」
「重大な疑念」
「決してお姉さまを蔑ろにしようしようなどとは」
「真に遺憾」
「私のお姉さまは祥子さまだけです」
「もう一声」
「愛してますお姉さま」
「聞こえなーい」
「愛してますお姉さま〜〜〜!!」
「よろしい」
「もう、お姉さまったら……からかわないで下さい」
 そう言ってから、うふふと微笑み合う二人。茶番からの流れるようないちゃいちゃ、もうすっかり別の世界に行ってしまった。
 私は一人寂しく自分のロザリオを胸にしまった。いいもん。あー、早く令ちゃん来ないかなー。と思っていると、開いたままだったビスケット扉から、志摩子さんと乃梨子ちゃんが揃って入ってきた。
「ごきげんよう……あら、どうしたの?」
 ラブラブの紅薔薇の傍らでつまらなそうに頬杖をついている由乃に志摩子さんは問いかけた。
「ごきげんよう二人とも。これこれこうで、いま二人は遠い世界に居ます」
「なるほど、おあついのね」
 そう言って志摩子さんが微笑む。
「ところでいま二人のロザリオは乃梨子ちゃんが胸につけてるのよね?」
「はい、そうですが」
 由乃の問いに乃梨子ちゃんが答える。
「くれ」
「は?」
「ロザリオを私にください」
「今、由乃さまはロザリオをお持ちでは?」
「もう一個欲しくなった」
「丁重にお断り致します。志摩子さんに頂いた大事な大事なロザリオ、おいそれと肌身から離すつもりはありません」
「乃梨子ったら。ふふふ、ごめんなさいね由乃さん」
 と言って二人は微笑み合い、またこちらも別の世界に行ってしまった。
 ……。
 それから一時置いて、令ちゃんがやってきた。話に花が咲いている二組の間でつまらなそうにしている由乃をみて令ちゃんは苦笑いをした。
「令ちゃん遅い」
「ごめんごめん」
 そう言いながら令ちゃんは由乃の隣の席に腰掛ける。
「ねえ令ちゃん」
「何?」
「ロザリオ、大事にするね」
「え?どうしたの、急に?」
「他藩にも学ぶところがあると思ったのよ」
「へえ」
 感心する令ちゃんに由乃はこれまでのことを話した。
「ロザリオか、見せて」
 と、令ちゃんが言う。由乃が胸元から取り出すと、令ちゃんは愛おしそうにそれに触れた。
「このロザリオも色々あったわね」
「うん」
「また私の手元に戻ってこないことを祈ってるよ」
「もう、大事にするって言ってるでしょ」
「はいはいそうだったね。由乃に妹ができるまで大事にしてもらわないとね」
 そう言って微笑む令ちゃん。一方、妹、と言う言葉に由乃は江利子さまとの約束が唐突に思い起こされ、途端に苦々しい顔になり呟いた。
「いや、大事にしてる場合じゃなかったわ……」
「えぇ……」
 事情を知らぬ令ちゃんは耳を疑った。

おしまい

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